Twitterばかりいじっていたら、更新が滞ってしまいました。
久しぶりに、書いてみたいと思います。
テーマは「批判への対応」です。
学校だの教育だのってのは、どうも批判しやすい分野のようで、
ネットでもテレビでも雑誌でも井戸端会議でも、
事あるごとに(事が無くても)寄って集って批判されることがあります。
今日も、Twitterで
「国語教育がダメなんだ。受験国語ばかりやって何になる!」
みたいな意識高い系経済学部生のツイートが流れてきました。
こういう批判を受ける(見る)と、井上の場合は、
「お前に国語教育の何が分かる!!」
「お前が受けてきた授業だけで世界を語るんじゃねーよ!!」
……みたいな黒い言葉と感情が
太鼓腹の奥底からふつふつと湧いてくるわけですが、
みなさんは、いかがなものでしょうか?
当然ですが、
基本的に人間は自分の知識や経験に基づいてしか思考できないわけで、
教育や学校生活というのは日本人であれば誰もが経験しているものなわけです。
従って、世界で数多の事象が起こっている中にあって、
日本人ならばだれもが思考可能な領域なわけです。
だからこそ、誰もが教育、学校を批判することができるわけです。
その批判は、批判する人の知識や経験に基づいて展開されるわけで、
教育について学んだり、調べたりしていない場合、
その内容が偏っていたり、的外れであったりすることが往々にしてあります。
そのような批判が(リアルで)なされた場合、
教員の皆さんはどのように対応しているのかなー?というところで、
今までに見てきた教員の対応を思い出してみたわけです。
そこで、あれ?っと思ったのは、
「批判」に対して真っ向から「説明」しているケースって少なくないか?
ということなんです。
例えば、保護者さんから的外れな「批判」が来る。
「はい、そうですね」「なるほど、○○さんはそうお考えですか」
「学校としても善処していきたいと思います」
なーんて感じ、でいなしてみたり、
謝るだけ謝って、あとは放置していたり。
そういう場面って、見たこと(やっちゃったこと)ありませんかね?
結局、それが教育の現場にいる人間と外部の人間とを
どんどん、どんどん隔てていっているような気がするのです。
相手が偏っていたり、的外れなことを言ったりしていたら、
教員はきちんと専門家として説明しなければいけないのではないでしょうか。
いなして、すかして、その場をやり過ごしていては、
いつまで経っても隔たりは広がったままなのです。
誰もが語ることができる、批判することができる教育だからこそ、
専門家である教員や教育学部生は、
自分の言葉で批判に対する説明や反論をできなければならない。
私は、そう思うのです。
前述のツイートにわざわざ絡んでいくようなことはしません。
一つ一つ対応していたらキリがない。
でも、自分の学級、学校の保護者さんには、自分の身の回りの人間には、
丁寧に説明をしていきたいと思います。
それが、より多くの人に教育や学校に対しての
適切な認識をもってもらうための努力だと思うのです。
保護者さんから、地域の方から学級や学校の取り組みに「批判」があったら、
スルーせずに、丁寧に、真摯に、時間がかかっても、自分の言葉で説明しましょう。
逆に、それができないようでは、
「批判」の対象となった事象についての自身や組織の認識が甘いということなのです。