ALS Ice Bucket Challenge に賛同・参加します。

この数日で一気に話題になり、賛否の意見も飛び交っている

ALS Ice Bucket Challenge ですが、

私のところにもバトンが回ってきました。

ALS Ice Bucket Challengeについては……http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%82%A4%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%90%E3%82%B1%E3%83%84%E3%83%BB%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%AC%E3%83%B3%E3%82%B8

以下の考えから、活動に賛同し、参加します。

◇ 7000を超える難病や、様々な病、障害を抱えて生きる人がいることを知ってほしい
 私自身が、説明が難しく、なかなか周囲の理解を得ることができない病を抱えながら生きています。普段は、元気に過ごせます。しかし、ふとした切っ掛けで、日常生活の維持に支障をきたすような症状が出ることもあります。
 また、家族・親族には障害を持っている者も、難病を抱えている者もいます。彼らも、 普段は普通に生活しています。しかし、やはり、障害によって他の人と比べて苦手な動作や行為があったり、薬によって体調を管理したりながら日々を過ごしていたりします。

  私のごく近い家族、親族だけでも、様々な困難を抱えて生きています。

  世の中には、周囲に気付かれない何かを抱えて生きている人がたくさんいるはずです。

  でも、それは、なかなか他の人の目には見えません。理解も得にくいです。

 世界を変えるためには、まず、多くの人が多くのことを識ることが必要だと考えます。 難病だけでなく、様々な病や障害を抱えながら生きている人が身の回りにたくさんたくさんいるのだということを。

 今回の取り組みは、ALSの啓発活動です。特定の難病についての活動であり、上記のように、多くの病や障害についての活動ではありません。
 しかし、私には、これまでも、これからも、Ice Bucket Challengeのような取り組みにどんどん協力していこうという意志があります。これから、様々な形で行われるであ ろう病や障害など、誰かが今を生きることの困難となる事実についての啓発活動。 私は、 自分にできる限り、それらの活動に参加していきたいと考えます。

  今回、ALS Ice Bucket Challengeに参加するのは、そのような考えの一端です。

◇ 金銭的支援を行うか、行動的支援を行うかの判断
 ALS Ice Bucket Challengeには、氷水を被り、活動をつなぐという形で参加します。 心苦しいのですが、金銭的支援は行いません。

 上述の通り、世の中には7000を超える難病があり、それ以外にも、日々の生活に困難をもたらす病や障害がたくさんあります。そして、それらに苦しむ人たち、その人たちを支援する団体が次々に類似するキャンペーンを始めた場合、残念ながら、それら全てに100ドルを寄付することは、私にはできません。

  私は、それが嫌なのです。

  同じような状況で支援を必要としている人や団体がたくさんいる中で(明確な理由がある場合は別として)たまたまメジャーになっている団体にだけ金銭的寄付をする、ということに抵抗というか、心苦しさがあります。流行に乗るだけのような、一過性の活 動で終わりたくないのです。
  ですから、(これまでも同様でしたが)今後の活動方針を以下のように明示します。

  病や障害に関する「啓発活動」参加の依頼があった場合、私に無理なことで無い限り 最大限に協力します。

  他方、金銭的支援については、以下のような自分ルールを以前からもっています。

① 治療費を集める募金活動を見かけたら、1件の事案につき1000円を寄付する。
  大学時代、友人のお父さんの同僚が海外での臓器移植が必要な病状になり寄付を募る活動が行われました。ボランティアサークルに所属していた関係もあり、友人から  依頼を受け、悩みに悩んで、募金活動に参加しました。
  臓器移植のための募金活動は、日本中の様々なところで行われています。その全てに寄付する財力は、私にはありません。しかし、自分が一度は寄付を募る側として活動した以上、寄付を求められる側になったときにそれを素通りすることは、私の感覚としては嫌なのです。
  そこで決めた自分ルールが、「臓器移植に関する募金活動に出会ったら、一事案につき1000円を寄付する」だったのです。
  もちろん、ただの自己満足です。しかし、私が行動選択をする上では大事なルールです。

② 金銭的・物品的寄付が即効性をもつ災害等については、極力協力する

  ここまでに述べたような、病や障害については、ALSも含めて、今すぐにたくさんのお金が集まったからといって、それらに苦しむ人たちがすぐに救われるという訳ではありません。時間をかけた研究と、それが実を結ぶまでを支える息の長い支援が大切だと考えています。
  しかし、瞬間的、短期的な金銭・物品の支援が必要な場合もあります。例えば、今現在も救出、復旧活動にある広島の土砂災害や、京都福知山の水害などです。被災された方々の当面の生活と復旧を支えるためのお金や物が必要です。
  このような場合は、できる限りの寄付行為を行うことにしています。

  まとまり無く書きましたが、以上の考えから、今回のALS Ice Bucket Challengeでは、趣旨説明→氷水をかぶる……の動画を公開することで、啓発活動に参加します。

 賛否はあるでしょうが、今の私の考え方ということで、ご理解ください。

 また、後続については、突発指名ではなく多くの友人に声をかけて参加者を募っています。私の動画撮影までに承諾の返事をくれた友人を指名します。

十把一絡げは無意味。

長崎、佐世保での事件。

犠牲となったお子さんに心からの哀悼の意を捧げると共に、

ご家族、周囲の方々に謹んでお悔やみを申し上げたいと思います。

 

さて、今回の事件にかかわって、

長崎の「いのちの教育」が繰り返し話題となっています。

 

10年前の小学生による殺傷事件以後、

長崎では県を挙げて「いのちの教育」や

地域での「みまもり活動」に尽力されてきたとのこと。

これはもちろん価値のあることで、

それらの取り組みによって心が耕されたり、

救われたりした子供も多いのではないかと思います。

 

しかし、教育委員も、報道も、今回の事件をもって、

これらの取り組みの是非を問うような言い方をしています。

どちらかというと、否定的な見方を示しています。

 

私は、この価値ある活動が、今回の事件一つで

否定されるような状況にあることに危惧を感じます。

 

すべての子供に「いのちの尊さ」を教える教育課程。

極論すると「人を殺してはいけない」という『常識』。

 

長崎以外でも「道徳」の授業や、その他の教育活動を通して、

これは繰り返し子供たちに提示されている価値観です。

学校だけではなく、家庭でのご指導など様々な場面で

子供たちはこの価値観にふれているはずです。

 

だから、ほとんどの子供、子供時代を経て成長した大人は、

どんなに怒りや恨みの感情を抱いても、

実際に他者を殺めようとはしないのです。

 

その、絶対的な事実を無視して、

ある一つの出来事を採り上げて教育活動全般の成否を問う。

 

そのような流れを、我々教育関係者は認めてはいけないのではないでしょうか。

 

教育は万能ではありません。

 

学級にいる40人の子供に同じように授業をして、

40人に等しく知識や技能、思考・判断・表現の力を培うことはできません。

一斉授業は、あくまでも「平均的」な「素地」を育むための時間なのではないでしょうか。

本当は、一斉授業の前後に、子供一人ひとりの個性に合わせた

個別の指導・支援が必要なのだと思います。

 

今回の佐世保での事件から教育の現場が知見を得ようとするならば、

一斉指導のあり方よりも、彼女の(環境、生育歴を含む)個性に寄り添う

個別の指導・支援がどのように行われてきたか、

彼女へのアプローチ、家庭へのアプローチをどうすべきだったか

という事実についての省察からスタートするべきだと思うのです。

 

小学生の頃からの彼女の行動。

母親との死別と父親の再婚。

高校進学と同時の一人暮らし。

高校への登校が3日程度。

 

これらの事実について、

各段階で小・中・高等学校はどのような支援を行ってきたのか。

学校は、教育委員会は、児童相談所は、どのように連携・支援してきたのか。

小学校から中学校、中学校から高校への連絡はいかに行われていたのか。

 

そして、学校から家庭への働き掛けはどのように行われたか。

 

彼女を取り巻いてきたこれらの事実を一つひとつ紐解いていくことでしか、

彼女の悩み、苦しみを解き明かすことはできないのではないでしょうか。

 

そして、そこから「個に寄り添う」支援・指導のあり方を模索するべきではないでしょうか。

 

「きょういく」「こそだて」は、均質、均一な取り組みではありません。

 

子供(だけではありませんが)のトラブル、問題行動は、

「今の子供は」「○○地域の子供は」「○学年の子供たちは」などと

括って考えてはいけないと思います。

 

トラブル、問題行動に対応するならば、該当の子供個人について。

トラブル、問題行動を予防するなら、集団に属する一人ひとりの子について。

 

十把一絡げの見方や対応を全とすることなく、

個々に応じた指導や支援、「きょういく」「こそだて」を考える必要があると思うのです。

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

これは、現在進行形の「教育改革」にもいえることです。

一人ひとりに応じた「きょういく」「こそだて」の研修会

https://educhatforall.wordpress.com/2014/07/24/edu-chat%E3%80%80%E7%AC%AC%E4%B8%80%E5%9B%9E%E7%A0%94%E4%BF%AE%EF%BC%A0%E6%9D%B1%E4%BA%AC%E3%80%80%E3%81%AE%E3%81%94%E6%A1%88%E5%86%85/

 

Edu-chat 第一回研修@東京 のご案内

Edu-chat初の研修会です。

詳細は以下の通りです。(ビラはこちらから→Edu-chat研修会


緊急企画! Edu-chat 第1回 研修会 @TOKYO 決定!!

テーマ よい「きょういく」「こそだて」とは何か

今、一番勢いのある教育哲学者・苫野一徳先生を講師 にお迎えし、今現在に育ち、これからの未来を生きる子供一人ひとりが輝く「きょういく」「こそだて」の在り方を考えます。

講師略歴 苫野 一徳 先生

熊本大学講師。専攻は哲学、教育学。早稲田大学教育学部卒業、同大学院教育学研究科博士課程修了。早稲田大学教育学部助手、日本学術振興会特別研究員(PD)などを経て、現職。著書に『教育の力』(講談社現代新書)他多数

研修は豪華二本立て!

① 苫野先生の「きょういく」「こそだて」論にどっぷり浸る!

『教育の力(講談社現代新書、2014年)』、『勉強するのは何のため?―僕らの「答え」のつくり方(日本評論社、2013年)』、『どのような教育が「よい」教育か(講談社、2011年)』などの著書を通して、「すべての子供に〈生きる力〉を」育む「ほんとうの意味での〈よい〉教育」を提案し続けている苫野先生から、 子供一人ひとりが輝く「きょういく」と「こそだて」についてのお考えをじっくりたっぷり語っていただきます!

② 「きょういく」「こそだて」についてのお悩みに、苫野先生がズバリ回答!

日頃の「きょういく」「こそだて」や苫野先生のご講演を通しての疑問・質問を思い切って、思う存分、苫野先生にぶつけてみましょう!そして、参加者全員で大いに話し合い、考え合いましょう!

 

日 時 : 平成26年8月8日(金) 13:30~16:45(受付:13:15~)
会 場 : 施設名:アットビジネスセンター池袋駅前本館 701号室
詳しくは→ http://abc-kaigishitsu.com/ikebukuro/access.html をご覧ください。
定 員 : 50名(先着順)
参加費 : 2000円
お申し込み、お問い合わせは、
こくちーず

http://kokucheese.com/event/index/199123/

 からお願いします。


一人ひとりが輝く「きょういく」と「こそだて」を考える“Edu-chat”

◇ Edu-chatは、子供一人ひとりの個性はもちろん、子供たちを取り巻く家族、地域、学校などの大人の個性をも十分に発揮し、協働し合うことを模索し、よりよい「きょういく」と「こそだて」を 考えるサークルです。

◇ 初年度の活動として、「きょういく」「こそだて」についての夢と理想、現実と困難をより多くの人たちと共有することを目指します。

◇Edu-chatでは、「きょういく」には以下のような側面があると考えています(7月現在)。


Edu-chatの考える「きょういく」

○ 教育……学校などの公的機関で行われる、制度としての「きょういく」

○ 共育……子供と大人とがともに成長する「きょういく」

○ 協育……家庭や学校、その他教育・療育機関等の連携で行う「きょういく」

○ 興育……子供が興味・関心を抱いた事柄の追究による「きょういく」

○ 経育……実体験を重視した「きょういく」

○ 響育……一人ひとりの興味・関心、追究、発見が相互に影響し合う「きょういく」

○ 郷育……地域、郷土のひと・もの・ことを活用した「きょういく」

○ 強育……子供の思いや願いを無視して、一方的に強いる「きょういく」

○ 恐育……体罰・罰則などを伴う「きょういく」

○ 矯育……大人の思うように子供の思考を矯正する「きょういく」


Edu-chatの考える「こそだて」

○ 子育て……保護者が子供を養育する、広義での「こそだて」

○ 個育て……子供の個性、興味・関心を最大限に尊重し、個性を伸ばす「こそだて」

○ 己育て……子供を育てることを通して、親自身が育つ「こそだて」

○ 誇育て……子供も親も、自分たちの在り方の誇りを育むことができる「こそだて」

○ 戸育て……家庭外との接触が少なく、家族のみの力で行う「こそだて」

○ 古育て……親が自分の育ちの経験や、年配者からの伝達をもとに行う「こそだて」

○ 孤育て……保護者一人が、他者の支援なく行う「こそだて」

○ 焦育て……周囲の様子や期待が原因で焦りをいだきながら行う「こそだて」

○ 雇育て……学童保育やベビーシッターなど、外部のサービスを利用する「こそだて」


 

……他にも様々な「きょういく」「こそだて」の形があると思います。どれが良い、どれが悪いということは、一概には言えません。「きょういく」「こそだて」に絶対の定型は無いからです。
教育学者だけ、教員だけ、保護者だけの論議を超えて、より多くの立場の人間が集まって、子供一人ひとりを輝かせる「きょういく」と「こそだて」を語り合う場。それが、Edu-chat なのです。

緊急時避難所設営マニュアル

台風8号の影響で、全国的に激しい雨予報の地域が多くなっています。
避難勧告が出る地域も出ています。

状況によっては、学校が避難所に指定されることもあります。
以下の内容は、10年前の水害、地震で避難所運営にかかわった経験から、
私なりに避難所設営の手順や留意点をまとめたものです。

地震を想定した部分も多いので、
台風や水害には該当しない部分もありますが、
何かの参考にはなるかと思います。

ご一読ください。

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避難所設営マニュアル

以下の状況が発生したときの対応マニュアルです。
市町村のマニュアルが無い場合にお使いください。

→災害により避難準備情報以上の発令がある、あるいは地域が災害の被害を受ける。
→地域教育委員会等から「避難所を開設する」指示が出る。
※行政職員が市役所等から学校に向かってくるが、災害時なのでスムーズに到着しない。
※防災無線等で避難準備情報等が発令されたことが地域に周知されている。

 

① 避難してくる人たち(以下、避難者)の動線を決める。

どの入り口から入ってもらって、どこに靴や傘をおいて、どこの部屋に入ってもらうのかを決めます(多くの場合は、体育館最寄りの入り口から入れて、体育館へ誘導)。靴置きのブルーシートを敷いたり、避難場所となる部屋にゴザを敷いたりします。
同時に、立ち入り禁止箇所を決め、表示をします。子どもの私物や貴重品がある区域に勝手に入られると困りますし、避難者が限定したエリアにいるようにしないと、情報伝達が困難になります。

 

①’避難者名簿の用紙を準備する。

動線を決めると同時に、避難者の住所、名前(可能なら性別、年齢)を書いてもらう用紙を準備します。大きな災害の場合、住民の安否確認、特にお年寄りの避難状況の確認が必要になります。
また、行政・親族からの問い合わせもあります。「○○町の△△というおばあちゃんは避難しているか」などの問い合わせに答えられるようにしておく必要があります。
名簿は、可能なら町内(行政区や子ども会区分)ごとに書いてもらうと後々便利です。
ここで、介護が必要な避難者や点滴、酸素ボンベの携行などの医療措置を必要とする避難者、乳幼児の人数、ペットの帯同も確認します。後での援助物資の要請や避難環境の整備に必要になります。

 

② トイレの環境の確認、整備を行う。

水道が止まっていないか、トイレットペーパーはあるかを確認します。また、トイレ用スリッパを用意します。水道が止まっている場合、状況に応じた使用制限を設けることが必要になります。
衛生的な環境を確保する上で、トイレの管理は絶対です。基本的に我慢できないものですから、どうしようも無い場合の対応も考えます。プールにトイレがある場合は、そこを大便用に解放し、バケツでプールの水を汲んで流すという方法もあります。

 

③ 水を確保する、お湯を沸かす。

清潔な水を確保します。学校の場合、給水塔に水が貯めてあることが多いと思うので、家庭科室のやかんや鍋に水を確保します。これは、飲み水やけがの対応用の水です。
安全を確保しながら、お湯を沸かします。風水害の時はガスが使えると思いますが、地震の時はガスが止まっている事態も考えられます。理科室や家庭科室にある道具をうまく利用して、少量ずつでいいのでお湯を沸かし、ポットに入れておきます。粉ミルクや介護など、お湯があるといい場面は多々あります。地震の場合は余震に十分に注意します。

 

③’授乳スペース、おむつ替えスペース(乳幼児用)をつくる

衝立やパテーション、移動黒板の下部分を覆ったものなどを組み合わせて授乳スペースをつくります。避難者に乳幼児が何人いるかにもよりますが、複数の区画に分かれていた方がいいでしょう。
併せて、子どもを寝かせておむつを替えられるスペースも用意します。とりあえず、ただ床に寝かせて交換するよりも衛生的であればいいと思います。おむつを捨てる場所を指定し、そこにゴミ袋を用意しておきます。結構臭いが出るので、居住区画から離れていた方がいいでしょう。
お年寄りのおむつ替えについては、保健室を利用してもらうか、別室を用意したほうがプライバシー保護の観点からもトラブルを避けられます。

 

④ 段ボールを集める

学校中にある段ボールを集めます。教室で荷物入れに使っているものでも、よほど汚れていたり埃まみれになっていたりしない限りは提供してもらいます。
段ボールは、組み立てて区画を区切ったり、床に敷いて緩衝兼防寒に使ったりと、様々な場面で活用できます。集まった段ボールは、横になっている時間が長い高齢者などを優先して配ります。

 

⑤ 指揮・判断系統を決める。情報共有手段を決める

避難所運営の場面では、学校職員以外の行政職員も学校にやってきて、連携しての作業が必要になります。ですから、通常の校長先生をトップとするいつもの指揮、判断系統では不具合が生じることがあります。最終的な判断は誰がするのか。どういう組織で避難所を動かすのか。暫定で決めておく必要があります。
非常時において、複数の判断が一つの避難所内にあることはトラブル発生の最大の原因となります。最終判断は誰がするのか(施設設備の使い方は校長先生、避難所経営の方針は行政職員など)をはっきりさせます。
同時に職員室、または本部になる場所に移動黒板を持ち込む、模造紙を貼るなどして、職員が共通理解すべき事項を書き出せるようにします。自治体からの指示や避難者からの問い合わせ・要望に対する対応の仕方を随時書き出していきます。ここに書かれたことを基準として、避難所運営や問い合わせ、要望に対する対応を行います。

 

⑥ 避難スペースにテレビやラジオを持ち込みます。

体育館でテレビを使うことが可能なら、避難者に見やすい位置に設置し、災害情報を報道しているチャンネルを映しておきます。テレビがダメなら、ラジオを持ち込みます。放送設備が使える場合は、避難所内に低度な音量で災害情報を流しておきます。放送設備がダメでも、避難者が聞きやすいように環境を整えます。
災害時、避難者がまず一番ほしいのは情報です。できる限り情報を提供するようにします。(今は携帯やスマホでも情報が得られますが、充電がしにくい状況であるはずなので、極力電池を温存するようにアナウンスします。ガセネタの流布を防ぐ効果もあります。)

第18回 基幹学力研究全国大会のご案内

井上が幹事を務める「基幹学力研究会」の

第18回全国大会が、8/6、7に筑波大学附属小学校で開催されます。

国語と算数、両方が一挙に学べるおいしい研修会です。

是非是非ご参加ください。

 

完全予約制です!!

詳細はURLをクリック!!

クリックしてkikan2014summer.pdfにアクセス

 

 

「批判」にどう応じるか。

Twitterばかりいじっていたら、更新が滞ってしまいました。

久しぶりに、書いてみたいと思います。

 

テーマは「批判への対応」です。

 

学校だの教育だのってのは、どうも批判しやすい分野のようで、

ネットでもテレビでも雑誌でも井戸端会議でも、

事あるごとに(事が無くても)寄って集って批判されることがあります。

 

今日も、Twitterで

「国語教育がダメなんだ。受験国語ばかりやって何になる!」

みたいな意識高い系経済学部生のツイートが流れてきました。

こういう批判を受ける(見る)と、井上の場合は、

 

「お前に国語教育の何が分かる!!」

「お前が受けてきた授業だけで世界を語るんじゃねーよ!!」

 

……みたいな黒い言葉と感情が

太鼓腹の奥底からふつふつと湧いてくるわけですが、

みなさんは、いかがなものでしょうか?

 

当然ですが、

基本的に人間は自分の知識や経験に基づいてしか思考できないわけで、

教育や学校生活というのは日本人であれば誰もが経験しているものなわけです。

従って、世界で数多の事象が起こっている中にあって、

日本人ならばだれもが思考可能な領域なわけです。

 

だからこそ、誰もが教育、学校を批判することができるわけです。

 

その批判は、批判する人の知識や経験に基づいて展開されるわけで、

教育について学んだり、調べたりしていない場合、

その内容が偏っていたり、的外れであったりすることが往々にしてあります。

 

そのような批判が(リアルで)なされた場合、

教員の皆さんはどのように対応しているのかなー?というところで、

今までに見てきた教員の対応を思い出してみたわけです。

 

そこで、あれ?っと思ったのは、

「批判」に対して真っ向から「説明」しているケースって少なくないか?

ということなんです。

 

例えば、保護者さんから的外れな「批判」が来る。

「はい、そうですね」「なるほど、○○さんはそうお考えですか」

「学校としても善処していきたいと思います」

なーんて感じ、でいなしてみたり、

謝るだけ謝って、あとは放置していたり。

 

そういう場面って、見たこと(やっちゃったこと)ありませんかね?

 

結局、それが教育の現場にいる人間と外部の人間とを

どんどん、どんどん隔てていっているような気がするのです。

 

相手が偏っていたり、的外れなことを言ったりしていたら、

教員はきちんと専門家として説明しなければいけないのではないでしょうか。

いなして、すかして、その場をやり過ごしていては、

いつまで経っても隔たりは広がったままなのです。

 

誰もが語ることができる、批判することができる教育だからこそ、

専門家である教員や教育学部生は、

自分の言葉で批判に対する説明や反論をできなければならない。

私は、そう思うのです。

 

前述のツイートにわざわざ絡んでいくようなことはしません。

一つ一つ対応していたらキリがない。

でも、自分の学級、学校の保護者さんには、自分の身の回りの人間には、

丁寧に説明をしていきたいと思います。

 

それが、より多くの人に教育や学校に対しての

適切な認識をもってもらうための努力だと思うのです。

 

保護者さんから、地域の方から学級や学校の取り組みに「批判」があったら、

スルーせずに、丁寧に、真摯に、時間がかかっても、自分の言葉で説明しましょう。

 

逆に、それができないようでは、

「批判」の対象となった事象についての自身や組織の認識が甘いということなのです。

 

 

URLの訂正と、教職ネットマガジンのご紹介。

昨日の更新でいくつかURLを記入しましたが、

きちんとリンクできていなかったようなので再掲します。

 

新潟大学教育学部附属新潟小学校

所属教諭の研究授業の指導案(全教科・領域)が掲載されています。

 

SENSEI NOTE(センセイノート)

教員用のSNSです。様々なメディアで紹介されている、今注目のWebサービス。

登録制ですが、無料です。

 

EDUPEDIA(エデュペディア)

NPO法人ROJE 日本教育再興連盟のWebサイト。

様々な教育情報、実践資料が集積されています。

 

また、昨日は掲載しませんでしたが、

教職ネットマガジン (福分堂)

というWebマガジンも紹介しておきたいと思います。

教育関連企業にお勤めだった社長さんが、

全国を自分の足で取材して回ってつくっているウェブマガです。

昨日の更新で問題にした「編修者の目をくぐる」という

情報の品質保証がしっかりとおこなわれています。

有料ですが、登録すると過去の記事もすべて参照することができます。

(私の拙い授業の動画も掲載していただいています。)

 

参考にしてください。

ネットの指導案は最低でも3つ読むべし。

取り急ぎ、若い先生や教育実習生の先生向けの教材研究のお話から。

 

一昔前と違って、ネットで検索すれば教材分析や指導案がたくさん手に入るようになりました。

SENSEI NOTE https://senseinote.com/ や

EDUPEDIA http://edupedia.jp/ など、

教員向けの情報を集積するサービスも展開され始めていますし、

私の前任校である新潟大学教育学部附属新潟小学校

http://www.fuzoku-niigata.jp/ のように、職員の全指導案を公開する学校もあります。

 

ちょっとググれば、手軽に授業が手に入る 

 

そう錯覚してしまいそうな時代になりました。とても素敵なことです。

この環境を大いに活用して、教材研究、授業づくりを進めるべきだと思います。

 

しかし、このネット環境には、大きくて深い落とし穴も存在しています。

 

たくさんの情報を簡単に手に入れられるようになった代わりに、

誰もが簡単に情報を発信できるようにもなっている、ということです。

 

情報発信が書籍や雑誌中心だった時代、

原稿は必ず編著者や編修者の手元を経由して公開されていました。

その際には、原稿依頼の段階で執筆者が絞り込まれ、

さらに校正の段階で修正されたり、あるいは没になったりという、

厳しいプロセスを経て原稿が公になっていました。

 

教育関係書籍の編修者の方は、膨大な量の原稿を読んでいます。

平均的な教員が1年間に読む教育研究の書籍より、絶対に多く読んでいます。

そういうお仕事だから、といえばそれまでですが、ただ文字を追うのではなく、

内容をしっかりと読み込みながら、編修のお仕事をされています。

そういうプロフェッショナルの眼鏡に適うものが、本として流通しているわけです。

 

しかし、このブログも含めて、ネットはそうではない。

 

誰もが自由に情報を発信できます。それはまさに玉石混淆。

検索エンジンで上位に出てくるからといって、

その内容が必ずしも優れているという保障はありません。

 

試しに、「国語 指導案 カレーライス」でググってください。

私の附属新潟小時代の指導案がトップで出てくるはずです。

この指導案は、9月の複式授業の研究会での成果発表に向けて、

何とか成果を出すために、ヒーヒー言いながら書いた指導案です。

授業日は7月20日となっています。

記憶が確かならば、この前後の私のスケジュールは、

 

12日~14日 5年生佐渡修学旅行引率

15日 登校日、6年生午前放課

16日~19日 6年生立山登山引率

20日 研究授業

21日 1学期終業式      でした。

 

ここに通知表や会計処理などを並行しつつ書いた指導案ですから、

今見返しても相当雑な指導案になってしまっています。

事実、授業もグダグダで、1時間扱いの指導案で連続3時間の授業をしました。

それでも、指導案で想定した子どもの思考を生み出すことはできませんでした。

 

いいわけがましくなりましたが、

つまり、「カレーライス」を教材とした指導案を探して、

ググってトップに出てくる指導案は駄作 ということです。

こういう例は、他にもたくさんあります。

 

そもそも、指導案というのは、担任が自学級の子どもの実態に即して、

ねらいを立て、そこに至るための方策を考え、記述したものです。

他所様の子どものためのもの なのです。

それが、そのままあなたの学級にフィットするなんてことはあり得ないのです。

 

ですから、私は若い先生や実習生には次のようにアドバイスしています。

 

 ・ネットを活用した授業づくりは大いにやるべし。

 ・読めば読んだだけ、力が付く。勉強になる。

 ・ただし、最低でもネットの指導案3本+教師用指導書を読め

 

教師用指導書に書かれていることは、

できるだけどの学級でも通用するように練られた教材研究と指導の方策 です。

ですから、これが軸。

 

そして、複数の指導案。

指導書と指導案複数本で重複している教材研究やねらいは、

その単元、教材にマッチしていると考えていいでしょう。

しかし、他と全く違うことが書いてあるなら、それを援用することは避けるべきです。

その上で、自分の授業に適合しそうなエッセンスを取り出し、授業を組み立てる。

 

面倒に感じるかもしれませんが、ゼロから出発するよりもずっと楽。

 

指導方法研究と教材研究と子どもの見取りと。

毎朝毎晩、Twitterのタイムラインを指導法の話と教材研究の話が駆け巡っております。

 

最近の教育関係出版物の売れ行きや雑誌誌面の構成を見るに、

今求められているのは、指導方法なのだなーと、漠然と感じているところです。

最近いただく原稿依頼のほとんどが単元の中の一場面での

How to を書くしかないレイアウトになっています。

 

出版の企画を持ち込んでも、やっぱり How to 本でないと会議を通りません。

どうも、セオリー的なものが重視され、教材観や子どもの実態に応じた授業づくりを

まとまった分量でじっくり述べるような本は倦厭されがちなようです。

 

私が出版にかかわるお仕事をいただき始めた11年前とは、状況ががらっと変わりました。

当時の教育関係書が更に10年前とさほど変わっていなかったことを考えると、

凄まじいスピードで教育界のニーズが変わってきていると思います。

 

とはいえ、指導法研究と教材研究とが授業づくりの両輪であることは自明。

そして、それを生かす土台は子どもの実態なわけです。

 

研修や読書を通して学んだ優れた指導方法を教室に持ち込んだとしても、

その裏付けとなる確かな教材研究と子どもの見取りが教師のなかに無ければ、

子どもがどんなに活発に活動しているように見えても、

「這い回る」活動に堕する可能性は大です。

 

この、

指導法研究

教材研究

子どもの実態の見取り

三つのバランスがきちんと取れるように授業を組織することが大切です。

 

分かりきったことだと思われるかもしれません。

 

しかし、多くの先生のTwitterやFBを見ていると、

どれかが先走っていることが実に多いのです。

 

そして、多くの場合は「まず指導方法ありき」で語られています

(さすがに国語の授業については教材研究が先行しているようですが)。

 

正直、私はこの状況は芳しくないと思っています。

 

以上のような問題意識をベースに、これから数日かけて、

授業づくりについての井上の考えを述べていきたいと思います。

どうぞ、お付き合いください。

 

なお、国語の授業づくりについてお悩みの若手の先生には、

まず、伊崎一夫先生の『小学校国語科 学習指導案で授業が変わる!』(日本標準)を

一読されることをお勧めします。小中、どちらでも学びがある本です。

今日、明日は大いに愚痴を言おう

 本格的に子どもが登校し始めて三日が過ぎた、というのが多くの初任者、新任講師の先生の状況だと思います。思うようにならないこと、ミスしたこと、理想との乖離……いろいろあると思いますが、一人の胸にため込んだまま、週末を迎えてはいけません。木曜、金曜の放課後にしっかりはき出しましょう。

 初めて仕事をするわけですから、トラブルがあって当然です。分からないこと、苦しいことがあって当然です。思うようにならないことが当たり前です。その現状を校内の誰かに伝えつつ、積もり積もった思いを発散することが大事です。
 誰だって、自分の弱さや不出来な部分は見せたくないものです。でも、それを胸の内に秘めたまま土日を迎えると、ただ悶々と考える週末を過ごし、何の解決策も支援も得られないまま、また来週を迎えることになります。そして、多分同じ日々を繰り返すのです。

 思い切って、学年の先生や、歓迎会で仲良くなった先生、あるいは管理職に、この一週間の苦しみを全部はき出すこと。うまくいっていない部分、悩んでいること、苦しいこと……マイナス要素を極力伝えること。それが木、金の放課後の大切な仕事です。
 伝えなければ、分かってもらえません。分かってもらえなければ、アドバイスも救いの手も差し伸べられません。平気なふりをして今週を終えたら、「まあ、何とかやっているんだなー」と、勝手に安心されてしまいます。

 そして、時間が経つほど自己開示はしにくくなり、問題も大きくこじれたものになっていきます

 この二日間の放課後は、悩みをぶちまけ、相談し、愚痴を言う。そういうための時間だと思った方がいいと思います。抱え込んではダメです。スタートの今だからこそ、プライドを捨てて胸の内を吐き出しましょう。そこから、次のステップが始まります。