URLの訂正と、教職ネットマガジンのご紹介。

昨日の更新でいくつかURLを記入しましたが、

きちんとリンクできていなかったようなので再掲します。

 

新潟大学教育学部附属新潟小学校

所属教諭の研究授業の指導案(全教科・領域)が掲載されています。

 

SENSEI NOTE(センセイノート)

教員用のSNSです。様々なメディアで紹介されている、今注目のWebサービス。

登録制ですが、無料です。

 

EDUPEDIA(エデュペディア)

NPO法人ROJE 日本教育再興連盟のWebサイト。

様々な教育情報、実践資料が集積されています。

 

また、昨日は掲載しませんでしたが、

教職ネットマガジン (福分堂)

というWebマガジンも紹介しておきたいと思います。

教育関連企業にお勤めだった社長さんが、

全国を自分の足で取材して回ってつくっているウェブマガです。

昨日の更新で問題にした「編修者の目をくぐる」という

情報の品質保証がしっかりとおこなわれています。

有料ですが、登録すると過去の記事もすべて参照することができます。

(私の拙い授業の動画も掲載していただいています。)

 

参考にしてください。

ネットの指導案は最低でも3つ読むべし。

取り急ぎ、若い先生や教育実習生の先生向けの教材研究のお話から。

 

一昔前と違って、ネットで検索すれば教材分析や指導案がたくさん手に入るようになりました。

SENSEI NOTE https://senseinote.com/ や

EDUPEDIA http://edupedia.jp/ など、

教員向けの情報を集積するサービスも展開され始めていますし、

私の前任校である新潟大学教育学部附属新潟小学校

http://www.fuzoku-niigata.jp/ のように、職員の全指導案を公開する学校もあります。

 

ちょっとググれば、手軽に授業が手に入る 

 

そう錯覚してしまいそうな時代になりました。とても素敵なことです。

この環境を大いに活用して、教材研究、授業づくりを進めるべきだと思います。

 

しかし、このネット環境には、大きくて深い落とし穴も存在しています。

 

たくさんの情報を簡単に手に入れられるようになった代わりに、

誰もが簡単に情報を発信できるようにもなっている、ということです。

 

情報発信が書籍や雑誌中心だった時代、

原稿は必ず編著者や編修者の手元を経由して公開されていました。

その際には、原稿依頼の段階で執筆者が絞り込まれ、

さらに校正の段階で修正されたり、あるいは没になったりという、

厳しいプロセスを経て原稿が公になっていました。

 

教育関係書籍の編修者の方は、膨大な量の原稿を読んでいます。

平均的な教員が1年間に読む教育研究の書籍より、絶対に多く読んでいます。

そういうお仕事だから、といえばそれまでですが、ただ文字を追うのではなく、

内容をしっかりと読み込みながら、編修のお仕事をされています。

そういうプロフェッショナルの眼鏡に適うものが、本として流通しているわけです。

 

しかし、このブログも含めて、ネットはそうではない。

 

誰もが自由に情報を発信できます。それはまさに玉石混淆。

検索エンジンで上位に出てくるからといって、

その内容が必ずしも優れているという保障はありません。

 

試しに、「国語 指導案 カレーライス」でググってください。

私の附属新潟小時代の指導案がトップで出てくるはずです。

この指導案は、9月の複式授業の研究会での成果発表に向けて、

何とか成果を出すために、ヒーヒー言いながら書いた指導案です。

授業日は7月20日となっています。

記憶が確かならば、この前後の私のスケジュールは、

 

12日~14日 5年生佐渡修学旅行引率

15日 登校日、6年生午前放課

16日~19日 6年生立山登山引率

20日 研究授業

21日 1学期終業式      でした。

 

ここに通知表や会計処理などを並行しつつ書いた指導案ですから、

今見返しても相当雑な指導案になってしまっています。

事実、授業もグダグダで、1時間扱いの指導案で連続3時間の授業をしました。

それでも、指導案で想定した子どもの思考を生み出すことはできませんでした。

 

いいわけがましくなりましたが、

つまり、「カレーライス」を教材とした指導案を探して、

ググってトップに出てくる指導案は駄作 ということです。

こういう例は、他にもたくさんあります。

 

そもそも、指導案というのは、担任が自学級の子どもの実態に即して、

ねらいを立て、そこに至るための方策を考え、記述したものです。

他所様の子どものためのもの なのです。

それが、そのままあなたの学級にフィットするなんてことはあり得ないのです。

 

ですから、私は若い先生や実習生には次のようにアドバイスしています。

 

 ・ネットを活用した授業づくりは大いにやるべし。

 ・読めば読んだだけ、力が付く。勉強になる。

 ・ただし、最低でもネットの指導案3本+教師用指導書を読め

 

教師用指導書に書かれていることは、

できるだけどの学級でも通用するように練られた教材研究と指導の方策 です。

ですから、これが軸。

 

そして、複数の指導案。

指導書と指導案複数本で重複している教材研究やねらいは、

その単元、教材にマッチしていると考えていいでしょう。

しかし、他と全く違うことが書いてあるなら、それを援用することは避けるべきです。

その上で、自分の授業に適合しそうなエッセンスを取り出し、授業を組み立てる。

 

面倒に感じるかもしれませんが、ゼロから出発するよりもずっと楽。

 

指導方法研究と教材研究と子どもの見取りと。

毎朝毎晩、Twitterのタイムラインを指導法の話と教材研究の話が駆け巡っております。

 

最近の教育関係出版物の売れ行きや雑誌誌面の構成を見るに、

今求められているのは、指導方法なのだなーと、漠然と感じているところです。

最近いただく原稿依頼のほとんどが単元の中の一場面での

How to を書くしかないレイアウトになっています。

 

出版の企画を持ち込んでも、やっぱり How to 本でないと会議を通りません。

どうも、セオリー的なものが重視され、教材観や子どもの実態に応じた授業づくりを

まとまった分量でじっくり述べるような本は倦厭されがちなようです。

 

私が出版にかかわるお仕事をいただき始めた11年前とは、状況ががらっと変わりました。

当時の教育関係書が更に10年前とさほど変わっていなかったことを考えると、

凄まじいスピードで教育界のニーズが変わってきていると思います。

 

とはいえ、指導法研究と教材研究とが授業づくりの両輪であることは自明。

そして、それを生かす土台は子どもの実態なわけです。

 

研修や読書を通して学んだ優れた指導方法を教室に持ち込んだとしても、

その裏付けとなる確かな教材研究と子どもの見取りが教師のなかに無ければ、

子どもがどんなに活発に活動しているように見えても、

「這い回る」活動に堕する可能性は大です。

 

この、

指導法研究

教材研究

子どもの実態の見取り

三つのバランスがきちんと取れるように授業を組織することが大切です。

 

分かりきったことだと思われるかもしれません。

 

しかし、多くの先生のTwitterやFBを見ていると、

どれかが先走っていることが実に多いのです。

 

そして、多くの場合は「まず指導方法ありき」で語られています

(さすがに国語の授業については教材研究が先行しているようですが)。

 

正直、私はこの状況は芳しくないと思っています。

 

以上のような問題意識をベースに、これから数日かけて、

授業づくりについての井上の考えを述べていきたいと思います。

どうぞ、お付き合いください。

 

なお、国語の授業づくりについてお悩みの若手の先生には、

まず、伊崎一夫先生の『小学校国語科 学習指導案で授業が変わる!』(日本標準)を

一読されることをお勧めします。小中、どちらでも学びがある本です。

今日、明日は大いに愚痴を言おう

 本格的に子どもが登校し始めて三日が過ぎた、というのが多くの初任者、新任講師の先生の状況だと思います。思うようにならないこと、ミスしたこと、理想との乖離……いろいろあると思いますが、一人の胸にため込んだまま、週末を迎えてはいけません。木曜、金曜の放課後にしっかりはき出しましょう。

 初めて仕事をするわけですから、トラブルがあって当然です。分からないこと、苦しいことがあって当然です。思うようにならないことが当たり前です。その現状を校内の誰かに伝えつつ、積もり積もった思いを発散することが大事です。
 誰だって、自分の弱さや不出来な部分は見せたくないものです。でも、それを胸の内に秘めたまま土日を迎えると、ただ悶々と考える週末を過ごし、何の解決策も支援も得られないまま、また来週を迎えることになります。そして、多分同じ日々を繰り返すのです。

 思い切って、学年の先生や、歓迎会で仲良くなった先生、あるいは管理職に、この一週間の苦しみを全部はき出すこと。うまくいっていない部分、悩んでいること、苦しいこと……マイナス要素を極力伝えること。それが木、金の放課後の大切な仕事です。
 伝えなければ、分かってもらえません。分かってもらえなければ、アドバイスも救いの手も差し伸べられません。平気なふりをして今週を終えたら、「まあ、何とかやっているんだなー」と、勝手に安心されてしまいます。

 そして、時間が経つほど自己開示はしにくくなり、問題も大きくこじれたものになっていきます

 この二日間の放課後は、悩みをぶちまけ、相談し、愚痴を言う。そういうための時間だと思った方がいいと思います。抱え込んではダメです。スタートの今だからこそ、プライドを捨てて胸の内を吐き出しましょう。そこから、次のステップが始まります。

未習漢字は使ってはいけない?それはなぜ?

 新学期が始まり、新一年生も登校してくるようになりました。

 この時期、ネットでもリアルでもよく聞くのが、「担任の先生の言っていることの意図が分からない」という話です。

 あらかじめ書いておきますが、このような話が出てくる最大の要因は、担任の説明不足 に尽きます。

 なぜそのような指示、お願いをするのかを、しっかりと伝えることが大事です。それをせずに「○○してはいけません」「○○してください(しなさい)」と示すことで、誤解や曲解が生じるのだということを、しっかりと認識しておく必要があります。逆の考え方をすれば、意図を説明できないことを指示したり、お願いしたりしているようではダメだということです。

 さて、上記の前提を確認していただいた上で、今回は「未習漢字は使わせない方がいいのか?」ということについて、私なりの考えを書きたいと思います。

 今日もTwitterで回ってきましたが、この時期、小学校一年生の担任の先生が「習っていない漢字は書いてはいけません」と指示したという話が風物詩のように出てきます。そして、「なぜダメなのか?」という疑問(あるいは不満)がそこに付随して出てきます。

 私自身は、基本的には「使いたければ使えばいい」という立場です。しかし、入学時の一年生には、「まだ、漢字は使っちゃいけないよ」と指導します。理由は以下の通りです。

1 「書き順」という概念をもっていない子どもがいる可能性がある
2 知っている子どもは書けるし読めるが、知らない子どもは手も足も出ない

 まず、1の浅い理由から。
 小学校では、「書き順」を教えます。書き順を教えることの是非は今回のテーマとは別問題なので今回の詳述は避けますが、私は、基本的には(右利きの人が筆で文字を書く場合に)字形を整えて効率よく書きやすい順序として書き順があるというとらえをしています。

 この「書き順」概念が無い状態で漢字を独習することを避けてほしいという理由で、一年生の最初の段階での漢字使用をストップします。高学年でさえ、「くにがまえ」を→↓←↑と一画で書く子どもは少なくありません。ましてや、「文字を書く」だけでうれしいピッカピカの一年生たち。形を覚えさえすれば、書き順も字形も関係なくガンガン書きます。漢字で名前を書ける友達をかっこいいと思ったら、自分もなんとか漢字を使おうと、保護者さんが書いてくれたどこかにある自分の名前の漢字を図形的に一生懸命に模写して書こうとします。いや、描こうとします。

 私は、それは漢字学習としては負の積み上げをしていることになると考えています。図形的に形を覚えた漢字。それを繰り返し使うことで、おかしな書き順や字形で漢字を覚えてしまっては、一生の問題になることだってあり得ます。

 書き順は意味がない。そういう考え方の人もいらっしゃいます。私自身、院生時代に書写書道教育法のティーチングアシスタントをさせていただく程度には学びましたから、書き順が文化的に絶対ではないことは分かっています。
 でも、実際問題、書き順を無視するよりも書き順(文化庁の許容する書き順も含め)に則って書く方が字形が整うことは確かだと思いますし、テストで書き順が問われることもあります(新潟県では高校入試で小学校低学年レベルの漢字の書き順が問われたことがある)。ですから、できるだけ「書き順」は意識させたいと思うのです(これに反論する人は、漢字スキルやドリルで書き順の確認があることの無意味を私に教えてください)。

 一年生は、平仮名、カタカナの学習を通して書き順の概念を学びます。その上で、漢字の学習に進みます。それは、国語の仮名学習での書き順指導と、書き方(書写)での仮名の字形指導との螺旋の先にあるものです。そこまでの基盤をしっかりと丁寧にやってから、漢字使用をオープンにしても遅くないと思います。

 基礎があっての発展なのです。

 次の、「2 知っている子どもは書けるし読めるが、知らない子どもは手も足も出ない」こっちの方が、ディープです。

 一年生は、基本的には読み書きを習っていないことが前提です。平仮名が読めない、書けないでいいのです。もっと極端なことを言うと「鉛筆を持って文字を書く姿勢や筆記具の持ち方」も知らないことが前提です。

 しかし、実際の教室では、純粋に平仮名から学び始める一年生と、幼保(あるいは家庭)で先取り学習をしてきた子、漢字まで独習している子が混在している実情があります。そういった個人差は、どうしようも無いものだと思っています。世界は不公平です。小学校就学までの間に、既習事項の差が生じるのは、教員には抑止することはできません。

 でも、そのような状況であっても、一年生一学期には絶対に避けたいことがあります。

「一生懸命に仮名を勉強したのに、友達の名前が読めない」

 かとう君が、横書きで「加とう」と姓を書いた。字形が整わないから、「カロとう」に見える。カロとう君って、誰だ????そういう些末とも思えるトラブルが、一年生では生じるのです。それが読めなかったことで、辛い思いをする子どもが出てくる可能性が否定できないのです。だって、子どもの認識では、漢字が書ける子の方が「すごい」のですから。

 一年生一学期は、まず、平仮名(可能ならカタカナまで)をしっかりと読めて書ける。それだけに集中させたいと思います。ですから、私は「漢字は無しよ」と、子どもに言います。保護者にも「お互いに読み書きしあえる記号である平仮名(カタカナ)を使わせます」と説明します(必要に応じて書き順、字形の話もします)。お互いの書いたものを読み合えることは、共に学び合う集団をつくっていく上で大切なことだと考えるからです。

 ただし、漢字学習が始まってからは違います。

 一年生では、まず、日直の名前を、漢字で大きく黒板に書くことから始めます。「書けなくてもいい。でも、学級の友達の名前くらい、漢字でも分かるようにしよう」そう伝えます。漢字記名の日直が一巡した段階で、プリント類への漢字記名を認めます。テストの記名などで字形や書き順等の明らかな問題があればその都度アドバイスを書き込みます。そうやって、適切に(?)漢字を書くことや、漢字を読むことの価値や必要感を広げていきます。
 
 上の学年では、はじめから漢字と平仮名併記の名簿を配ります。高学年女子は漢字が書けても平仮名で名前を書きたがったりしますが、漢字を徹底させます。自分の名前ですから。

 また、未習漢字でも使いたければ勝手にしろ、と伝えます。そうすると、辞書や教科書末の漢字一覧を活用するようになります。読めなければ友達に聞け、書けなければ調べろ。ガンガン使わせます。その上で、誤字、字形、書き順が間違っていれば、提出物の添削を通して指導します。国語での新出漢字学習、ミニテスト、書写ノートはきっちりチェックします。

 子どもがどの程度漢字を自習できるか。その程度によって、指導のさじ加減は変わります。

 私が、新一年生に「習っていない漢字は書いてはいけません」という理由と、その後の対応は上記の通りです。まず、ベースをつくってから。一年生のスタート段階で子どもが友達との格差を感じるような学びの場をつくることはしたくないと思います。
 漢字学習のベースができれば、そこからは子どもの個性次第です。余程破天荒で無い限り、学びの欲求を止める必要は無いと思っています。

自主的避難訓練はお早めに

私の住む新潟県では、今朝久しぶりに有感地震がありました。

特に被害も無かったようですし、何よりも学校に子どもがいない時間帯で

不幸中の幸いであったと思いました。

 

3.11直後の4月、私は前任校で1学年の学年主任をしていました。

まだまだ余震が続いている時期でしたので、全校での避難訓練に先立って、

学年で地震発生時の指導をしておこう……と打ち合わせたその翌朝、

朝学活の時に大きな余震がやってきました。

 

前任校は、緊急地震速報が校内放送で流れるシステムがありました。

時期的に子どもたちが地震や緊急地震速報に慣れていたこともあり、

速報の校内放送→「ゆっくり机の下に入りましょう」の指示→揺れ、と、

一年生としてはかなり落ち着いた流れで事故無く行動できました。

 

しかし、今週や来週、子どもが学校にいる時間に有感地震があったら……と

考えると、正直、それなりの事故が起きてしまうのではないかと危惧します。

特に、新小学一年生。

 

一年生は、幼稚園、保育園とは違う教室環境にやってきたばかりです。

一人ひとりに机がある、という状況自体が初めてな子どもも多いはず。

その状況で地震が発生した際、一番起こりがちな事故は、

 

机に頭をぶつけてのたんこぶ です。

 

揺れ→「机の下に入りましょう」の指示→慌てて入ろうとする→ゴツン。

二次災害です。心理的に不安定な状況での痛みなので、多くは泣きます。

その鳴き声が、他の子どもの不安をかき立てます。軽いパニック発生です。

(表現は極端ですが、実際そうなりかねません。)

 

そのような状況に陥らないためにも、

早めに「新しい環境での避難の仕方」を指導しておいた方がいいでしょう。

私が指導するのは、主に次のような内容です。

 

 ①落ち着いて机の下に入ること

  ・頭をぶつけないように気をつけること

  ・頭が机の下に入るようにすること(お尻は出てもいい)

  ・机の下に入ったら、机の足をしっかりつかむこと

   (揺れが大きいと机が揺れて体のあちこちにぶつかる)

  ・声を出さずに、先生や放送の声が聞こえるようにしていること

 ②先生の指示があるまで、机の下から出ないこと

  ・地震がきたら必ず先生が助けに来ること

  ・放送でどうしたらいいかを教えてくれること

 ③机の下から出てからの動き方

  ・教室の空きスペースに、素早くならぶこと

  ・先生の指示を聞いて、ゆっくり静かに進むこと

  ・前の人から離れないこと

ざっと、こんなところでしょうか。

その他にも、学校の状況によって指導する内容は変わってくるでしょう。

 

私の場合、低学年では教室でならぶ→移動を徹底します。

中学年以上では、教室の机のならびでそのまま避難を開始する練習をします。

(席替えをするごとに、簡単な確認が必要です。)

 

また、休み時間に地震が起こった時には、

 ① 壁や窓、棚から離れること

 ② 丸くうずくまって、頭と首を守ること

 ③ 放送や近くにいる先生の指示をよく聞くこと

などを指導します。

 

備えあれば憂い無し。

天災は忘れた頃にやってくる。

 

早めの自主的避難訓練をお勧めします。

 

 

新任式で何を語るか2

間が開いてしまいましたが、

井上流の「名前を覚えてもらう自己紹介」です。

 

必要なものは、

自分の名前を一文字ずつ、平仮名で書いた画用紙です。

私の場合

「い」「の」「う」「え」「ゆ」「き」「の」「ぶ」

の8枚を用意します。

新任式会場の後ろまで見える大きさが必要です。

 

新任式、壇上では次の流れで自己紹介を進めます。

+++++++++++++++++++++++++++

①突然ですが、覚える力を試すテストです。

 今から八つ(名前に応じた数)の平仮名を見せます。

 みなさん、覚えることができますか?

②それでは、いきます。

 一つずつ声を出して読みましょう。

 (1枚ずつ画用紙を示す。示す順は名前の逆。

  私なら「ぶ」「の」「き」「ゆ」「え」「う」「の」「い」

  一文字ずつ、子どもと一緒に声を出して読む。)

③覚えましたか?それでは、順番に八文字を言ってみましょう。

 せーの、「ぶのきゆえうのい」

④さすが、○○小学校のみなさん、よく覚えました。

⑤では、次。考える力のテストです。

 今の八文字を、逆の順番で言ってみましょう。

 少し、考える時間をあげます。近くの人と相談しましょう。

⑦わかりましたか?では、答え合わせです。

 画用紙を見ながら、読んでみましょう。

(1枚ずつ画用紙を示す。示す順は名前の順

  私なら「い」「の」「う」「え」「ゆ」「き」「の」「ぶ」

  一文字ずつ、子どもと一緒に声を出して読む。)

⑧全員で、大きな声で続けて言ってみましょう。

 「いのうえゆきのぶ」

⑨これが、私の名前です。仲良くしましょう!

+++++++++++++++++++++++++++

 

これまでに4回このパターンで挨拶をしました。

どの学校でも、いち早く名前を覚えてもらえました。

しばらくの間、「ぶのきゆ先生」「えうのい先生」という子もいますが、

名前や私の存在に興味をもってくれているからこその反応だと思います。

 

よろしければ、参考にしてください。

 

 

新任式で何を語るか。

新年度が始まりました。

 

新採用、始めて講師勤務をする先生方は、

同僚との顔合わせを終えて、ちょっとほっとしていることと思います。

 

さて、これから数日間は雑務が続き、

次の大きなイベントは新任式となるわけです。

 

学校規模にもよりますが、

多くの場合、新任式では新任の先生のスピーチの場面があります。

そこでは、出身とか、出身大学とか、趣味とか、夢とか希望とかを

情熱的に語る人がたくさんいるわけです。

 

そこで語ったことのどれほどが子どもに伝わっているでしょうか?

 

多分、ほとんど伝わっていません。

せいぜい、同じ趣味の子どもがちょっと関心をもってくれるくらいです。

だって、子どもの頭の中は、あとに控えている担任発表でいっぱいなのですから。

 

そして、そのようなことを新任式の壇上で語ることにどれほどの意味があるでしょうか?

個人的には、ほとんど意味は無いと思っています。

新任式、壇上で成すべきこと。それは、

 

顔と名前を一人でも多くの子どもに覚えてもらうこと!

 

これに尽きると思います。

私はいつも、そのためだけに全力を尽くします。

ですから、新任式後、私の来歴や趣味を知っている子どもは

(自学級を除けば)全校には全くいません。

しかし、廊下で名前を呼んでくれる子どもはたくさんいます。

 

まずは、名前を覚えてもらう。

 

それが大事です。だって、それが人間関係づくりの第一歩なのですから。

 

 

※具体的な井上流自己紹介については、次回述べます。